江藤勲の音楽夜話/第九夜

語り/江藤勲 聞き書き/青山弦

音楽を表現する力

先回の第8夜で、ベーシストに求められるのは、〝正確無比なリズム〟だと書いた。しかしそれだけでは事足りないのは、読者のみなさんなら先刻承知だろう。
加えて必要なのは〝譜面にこめられた思いを読み解く力〟である。渡された譜面を読み、楽曲にこめられた作曲家の思い、作詞家の言葉の世界を理解し、解釈が出来ないといけない。作曲家や編曲家と、細かな意見を交換するような時間は、スタジオでは、ほとんど皆無である。初見で作曲家と作詞家の互いの意図をくみとっていく。セッション・ミュージシャンの醍醐味をいちばんに感じる瞬間である。
〝譜面にこめられた思いを読み解く力〟を養う上で、なによりも大切なのは〝想像力〟イマジネーションだと私は考えている。では、その〝想像力〟は、どのようにして養われるのだろうか。十人十色、人それぞれの答えがあるかもしれない。私がいえるのは、自分の体験から出た言葉だけである。
私は音楽に出会うことがなかったら、自分の人生がどう転んでいたかわからない、といつも思って生きてきた。それほど音楽に惹かれてきたのは、音楽に救いを求めるしか道がなかったから……、だともいえる。
お恥ずかしい話だが、私の育った家庭環境は、ひどく荒んだものだった。原因は父だった。ギャンブルに身をやつし、母や子どもを顧みることのなかった父と長男の私は、つねに一触即発。ヤルかヤラレルか、いつなにがあってもおかしくない、地獄のような日々だった。そうした暗い子ども時代を経た私が出会った光明が、音楽だった。家では地獄。一歩外に出れば「音楽という天国」。その狭間を行き来しながら高校時代を過ごした私が、卒業とともに家を離れ、のめりこむように音楽の道に進んだのは、当然の成り行きだった。
以来、半世紀あまりの日々のなかで、どれほど音楽に勇気づけられ、助けられてきたか、言葉には尽くしきれない。音楽を仕事にし、今日の私はある。音楽が私に与えてくれたのは、経済的な恩恵だけではなかった。人々と喜びを分かち合い、人生を豊かにしてくれる音楽の力があったからこそ、私はこうして生きていられるのだ。
本題に戻ろう。音楽を理解し、音楽を表現する〝想像力〟は、どこから生まれてくるのだろうか……。
その源は、〝音楽を信じる力〟にこそある、と私は思っている。心に痛みを抱え、救いを求めている人ほど、〝音楽を信じる力〟は強い。私がこれまでに出会った「音楽に身を捧げるようにして生きてた人」は、有名無名を問わず、誰もが音楽を信じ、音楽にすがるようにして生きていた。
悲しみを唄うのは、なにもブルースだけではない。どの民族の音楽にも、その根には、生きることの辛さや切なさがあるはずだ。悲しみがあるからこそ、人は身体でリズムを刻み、メロディを口ずさまずにはいられないのではないだろうか。
現代には、演奏テクニックに長けたミュージシャンが数多い。しかし彼等の奏でるベース演奏を聴いて、「これは!」と、ハッとさせられることは、残念ながら稀だ。「どうして心に響いてこないのだろう……?」と私はよく考える。「自分に聴く耳がないのか……?」と自問することもある。
その原因を、最近はこんなふうに考えている。彼等の演奏を聴いて、心が揺さぶられるまでに至らないのは、そのサウンドから、ほんとうに音楽を求めている人の〝魂の声〟が聴こえてこないからではないか……と。
だからといって、音楽を奏でる前に、なにも進んで、悲惨な体験に身をやつす必要は、さらさらない(笑)。そんな思いをしなくても、すこし〝想像力〟を働かせれば、人生に悲しみはつきものだ。世界は悲惨に満ちている。感受性さえ研ぎ澄ませば、音楽の力は、いつもそこに、あなたの目の前にある。