江藤勲の音楽夜話/第三夜

ベーシスト江藤勲が語る音楽のあれこれ

語り/江藤勲 聞き書き/青山弦

グランドキャバレーの〝ハコバン〟時代

プロのバンドマンとして演奏するようになったころ、栃木県の足利に三カ月間住んだ。グランドキャバレー「女王蜂」という店の、通称〝ハコバン〟だった。店舗(ハコ)の専属バンドが〝ハコバン〟で、住むといっても、寝泊りするのは、キャバレーが借り上げたアパートでのザコ寝だ。

〝グランドキャバレー〟を知っている人も少ないだろうから、簡単に説明しておこう。店にはステージとダンスホール、そして飲食のイス&テーブルがある。かなり規模は大きい。お酒をたのしみながら、バンドの演奏に合わせダンスをするのが基本だ。お酒の相手は〝社交さん〟。ダンスの相手は〝ダンサーさん〟と分かれている店もあれば、そのあたりが曖昧な店もある。〝ホステスさん〟という言葉は、まだ一般的ではなかったと思う。そしてひと晩に数回、ショータイムがあり、歌謡ショーやレビューなどがあった。

こうしたグランドキャバレーでの演奏は、お客さんをいかにたのしませるか、が求められる。ハワイアンだけでなく、ムードミュージックも、流行歌だって演奏する。私たちのバンドにはボーカルがおらず、インストで演奏していたのだが、ある晩、なかなか間が持たなく困っていた。するといきなり「唄やれ!」と、客席から声がかかった。バンマスが私を振り返る。「唄えませんよ!」と目で返すが、こわい目で、アゴでスタンドマイクに立つよう促す。しょうがなくて唄ったのが、「なんだったか……?」、いまとなっては、もう完全に忘れたが、唄い終わると、それまで音楽をロクに聴きもしなかった社交さんたちが、立ち上がって拍手をしてくれたのは、よくおぼえている。

そんな足利時代のこと。朝早く部屋のドアをノックする音がする。下っ端の私が眠い目をこすりながらドアをあけると、いきなり若い女性に、涙ながらに横面をひっぱたかれた。バンド仲間は、蒲団をかぶってクスクス笑っている。でも、そんなんじゃないの。旅から旅で、足利に居つき、三カ月も家に帰らない弟をようやく探し出した姉が駆けつけたのだった。家で待つ母は、警察に「捜索願い」まで出して、あちらこちらを探していたらしい。

ハコバン時代はいろいろと大変な思いもしたが、音楽で人をたのしませることを学ぶ、貴重な体験になった。昭和30年~40年代、日本全体が、戦後復興に燃えた時代は、街に活気があふれていた。生活は豊かでなくとも、音楽を楽しむ熱気が、人々にみなぎっていた。