江藤勲の音楽夜話/第一夜

ベーシスト江藤勲が語る音楽のあれこれ

<語り/江藤勲 聞き書き/青山弦>

はじまりは、通学路で聴いた奇妙なサウンド

69歳になるいまも、ベースを手にしない日はない。音楽が鳴っていれば、すぐに楽器を弾きたくなる。カラダが自然に動いて、ベースやギターに手がのびる。マスターを務めさせていただいているPACO1977にも、ウッドベースを置いて、いつでも弾けるようにしている。

ベーシストとして、これまで数多くのミュージシャンとステージに立ってきた。グループサウンズから歌謡曲、ジャズ、ポップスまで、一時は毎日のようにレコーディングにも参加していた。そうした当時のことを、思い出すままに語っていこうと思う。音楽を志す人にとって参考になることが、すこしでもあれば幸いだ。

まずは、音楽との出会いから始めるのがいいだろう。

子どものころから、音楽は好きだった。記憶にのこっている最初のメロディは、ラジオドラマ『笛吹童子』のテーマ曲。♪ ヒャラリ ヒャラリコ、というメロディを心待ちに、ラジオに耳を傾けたものだった。小学校2年のとき、大田区から山間の町、奥多摩に越したころのことだ。

本格的な音楽との出会いは、高校進学後のこと。武蔵境の関東高校(現:聖徳学園高校)に通った。中央線の武蔵境駅から学校にいく途中、いつも奇妙な音がすることに気がついた。揺れるような音程の、なんとも心地良いサウンドが、風にのって聴こえてくる。授業が始まっても、その音が耳について、勉強どころではなかった。

ある朝のこと、とうとう我慢出来ずに通学路を逸れ、音に導かれるように歩いてみた。すると、着いたのは日本獣医畜産大学。キャンパスを囲む石塀に伸び上がって、窓から流れてくる音を聴いていると、もうその場を離れることが出来なくなった。それからは、毎朝、高校に向かうはずの足が、いつの間にか獣医畜産大学へ。遅刻の常習で、先生に叱られるのを覚悟で、路上に立ち、音に聴きほれていた。

通い始めて何日目だったか。いつものように塀に手をかけて聴いていると、突然、演奏が途切れた。「アレ! もう終り?」。高校に向かおうとすると声がする。見上げれば、窓から大学生が顔を出して笑っていた。「そんなに、音楽が好きなら上がって来いよ!」と呼び入れられ、目にしたのが、スチールギターを見た最初だった。

半世紀におよぶ、私の音楽人生は、その朝からスタートした。