江藤勲の音楽夜話/第十三夜

語り/江藤勲 聞き書き/青山弦

バッハで空前絶後のグルーブを体験!

ピアニストにしてアレンジャー、プロデューサーとしても活躍する佐藤允彦氏に声をかけられ、バッハを演奏したことがある。バッハ生誕を記念したアルバムの録音だった。60年代から佐藤氏とは演奏する機会があった。フォーク・ブルーズを彼がアレンジしたアルバムのセッションや、弘田三枝子さんの「ミコR&Bを歌う」の演奏でもベースを務めた。ジャンルを越えてピアニスト、アレンジャーとして幅広く活躍する才能だ。
さてこのときの御題は、〝バッハ〟だった。集ったメンバーには、石川晶(d)、杉本喜代志(g)、村岡健(ts)の各氏がいたと記憶している。
そのリハーサルでのことだ。最初はアレンジどおりに演奏していたのだが、途中からアドリブでのフリーなセッションに突入した。打ち合わせは一切なし。もう1コードで各自が延々、演奏に没入していた。バッハの音楽を土台に、自由にイマジネーションを膨らませていく。ベースの私は、16ビートのジャズでも、8ビートのロックでもなく、なにかもっと大きく巡る3拍子、そうワルツを刻んでいたように思う。
すると不思議なことが起きた。スタジオ内のすべての動き、サウンドが、まるでスローモーションの映像を見聴きしているような状態になっていった。私だけ気がおかしくなったのかと周りを見渡すと、ギターの杉本氏の表情が、あきらかにいつもと違う。まるでなにかに憑かれたかのごとく、一心にギターでリズムを刻んでいた。
メンバーの紡ぎ出したサウンドは、それは! それは! 実に素晴らしく迫力に満ちた演奏だった。言葉にするのは、何とも至難の業だが、〝全員で成層圏まで飛んでいった感じ〟とでも表現しようか。各自が即興でうみだすグルーブが、影響を与えあい、渦を巻き、大きな円環となり、さらにのびのびと拡がり、いくらでも大きくうねっていく。サウンドが螺旋を描きながら発展しスピンした。そうしたグルーブがロケットエンジンになって、演奏しているわれわれを吹っ飛ばし続けた。
時間にしてどれほどだっただろう。時計では測ることのできない濃密な音の重なりは、いつまでも果てがないと思われたころ、セッションが突然におわった。
リズムを刻んでいた杉本氏が真っ青になって倒れたからだ。演奏に集中し過ぎるあまり、身体が悲鳴をあげていた。メンバーが駆け寄ると、呼吸も絶え絶え、心臓は早鐘のように打っている。すぐにスタジオに救急車が呼ばれ、病院へ搬送された。
このセッションこそは、長い私のミュージシャン経験でも、空前絶後だった。
その楽曲が、ロックでもジャズでもなく、楽聖バッハだったというのが、いまふりかえっても、何だかとても面白い。