カントリーミュージックプレイヤー Kieth Urban

私の友人アメリカのH.S.Andersonギターのコレクター Philip Coadyからのメールです。
ヴィンテージの H.S.Anderson Mad Catを演奏している大物アーティストを紹介してくれました。

以下メールのコピーです。

Hello Shiino-San,

Tanya and I think of you and Tokyo often.  We are celebrating our one-year anniversary this week, and so it has been a year since we met you in Tokyo.  We hope to be back soon.

I saw a picture today and immediately thought of you.

Please see the attached photo of Keith Urban playing a vintage 1970’s H.S. Anderson Mad Cat.  I know it is a vintage 1970s model because of the black binding, the shape of the headstock and the “mad cat” type-face.

We are doing well in Seattle, it is a busy time of year with the kids going back to school.

How are you doing?  We would love to hear an update about you and your wife.

Best wishes,
Phil and Tanya

Kieth Urban(写真左側)
Keith Urban is a “Mega-Star” Artist – from Australia/New Zealand.
His music genre is Country Music.

ジャズ・ギタリスト 小嶋洋一郎さん

全盛時代のPACOの社長をしていましたジャズギタリストの小嶋洋一郎さんが、2本目のアンジェリコギターを購入し、バリバリに活動を開始。現在は軽井沢に拠点を移し、軽井沢音楽祭の実行委員としても大いに頑張っています。

小嶋さんの活動歴は長く、40年近く前のスイングジャーナル誌の人気投票では10傑に入っていたプレーヤーです。前衛ジャズの高柳昌義さんや小西徹さんに師事し、独特のサウンドを奏でるギタリストです。

「今回のギターはセミソリッドのため、音の立ち上がりが早くいろいろな楽曲に対応ができる。」とコメントをくれました。

江藤 勲さんを偲ぶ ーその4ー

江藤さんがレコーディングした昭和歌謡のヒットレコードについて自称鑑定家がたくさんいます。
それぞれの人がその意見をネット上で出されていますのでどれが正しいとは言い難いのですが、我がPACOチームも勝手な鑑定をしてみました。
ポイントは江藤さんの生前の飲み屋話、楽屋の落ち話、オレンダーベースの独特なサウンド、江藤的楽器の鳴らし方、演奏テクニックなどなどを鑑み、当時の歌謡曲をほとんど聞いてみました。その結果を表にしましたので皆さんも聴いてみてください。

グループサウンズ、ムード歌謡、フォーク系などは当然グループメンバーにベースの人がいますが、その人がレコーディングの時に演奏をしているかというと、ドリフのズンドコ節のようにいかりや長介ではなく、江藤さんがベースを演奏していることが多いんです。
これらの曲を聞いてみるとなるほどと頷けることがわかると思います。
昭和歌謡のヒット曲を聞くと天才ベーシスト江藤勲の世界がそこにあり、みなさんの脳裏にそのサウンドが焼きつくこと間違いありません。

文 椎野 秀聰

ギタリスト Michiaki Katoさん

ギタリストのMichiaki Katoさんが、Hank Nishiyamaさんと共にD’Angelicoの試奏にいらっしゃいました。

1970年代からの音楽に精通した方で細かな当時の事象について話をしましたが当事者しかわからないことでもよく知っていて驚きました。日本の若者の音楽が急に変化したその時代を彼は高校生の目でじっと見ていたらしく、すっかり変わってしまった今の音楽業界にそういった人がいて内心ホッとしました。

お気に入りのD’Angelicoを試奏する
Michiaki Katoさん

 

ギタリスト Hank Nishiyamaさん

有名アーティストのサポートなどで活躍中のギタリスト、Hank NishiyamaさんにD’Angelicoをお買い上げいただきました。

久しぶりにミュージシャンらしいナイスガイに会うことができました。

楽しげに試奏される Nishiyamaさん

メッセージをいただきました。

 ありがとうございます!
もちろんすべて非常に気に入ってます!
今のところ全く問題なく、音色や感触を楽しみながら弾きこなす練習をしておりま す。
もちろん何かあったらご連絡いたします。
今後ともよろしくお願いします!

西山

 

江藤 勲さんを偲ぶ ーその3ー

江藤勲は何がすごいのか。

前にも書きましたが、私は吉澤元治という、天才にして日本人には珍しいオリジナリティー溢れるアーチストであったベースの巨匠と深い関わりがありました(PEOPLE 私の交友録 6)。またネイザン・ワッツ、ビリー・シーハン、ローランド・ゲリン、グレック・レイク、ゲイリー・ピーコックをはじめ多くのベーシストと親交があり、彼らのベースを作成したこともあります。

江藤勲とよく似たベーシストはネイザン・ワッツが第一に挙げられます。私の交友録1で書いたとおり、スティービーはネイザンなしには存在しないと言い切れると私は思っています。
江藤さんは曲の全体をすぐに把握でき、歌い手の心情を察し、譜面に書かれたコードから曲のイメージにあったベースラインを作曲家のように繊細に演奏するのです。しかも絶対リズムなのです。みんなが一つの曲を作り上げる指針となるよう譜面に忠実なベースを弾くから歌い易く、その楽曲は大ヒットするのだと思います。ちあきなおみ、弘田三枝子、青江三奈、などは歌が上手いと玄人筋ではよく言われますが、レコーディングでは江藤勲がしっかりエスコートしているのがわかります。
ネイザン・ワッツも同じです。

日本人はよく手が動き、パフォーマンス豊かなベーシストを上手いと好みますが、本当のベーシストは自分のうまさを強調してはいけないのではないかと私は思います。音楽に対して確固たる信念を持ち、音楽感溢れるリズムと音程、メロディーラインをしっかり把握し、信頼に足るべースを弾くこと、他のメンバーに配慮する気持ちと真面目さを持つ、これがベーシストの真髄ではないでしょうか。
そういう意味で江藤勲はまさにスティービーを支えるネイザンのごとく、日本の昭和歌謡を支え、昭和歌謡史作った一人であったと言えるのです。

江藤さんは自分が演奏した曲や細かいことは何にも覚えていません。使った大金のことも覚えていません。
『アッ、コレ俺が弾いたんだ。今思い出した』そのはずです、何千曲ものレコーディングをしたのですから覚えきれなかったのでしょう。

江藤さんのベースには抑揚があります。ベースが歌うのです。
だから歌いやすく音楽に乗れるのです。
江藤さんはいつもじっと考え、どうやるかを極めているのです。
誰もそう思っていませんが繊細なのです。
政治や文化、科学、歴史はもとより、科学では解明できない分野にも興味があり、すごい読書家です。スポーツ新聞のようなものには全く興味を持っていませんでした。
だから冒頭に書いたように宇宙から地球に来て、突然宇宙が恋しくなり去って行ったのだと思うわけです。
時間があり、側にベースやギターでもあれば必ず弾き出します。
手は職人のようにぶ厚く、指も太くベースを弾くにはぴったりで、いかにもベーシストの手でした。

文 椎野 秀聰

江藤 勲さんを偲ぶ ー その2ー

オルガニスト 敦賀明子さんと

 

江藤さんとの思い出は尽きないのです。

私が心臓の手術をした2012年6月のこと、江藤さんが見舞いにきてくれて今後私たちはどう生きていけばいいかという話になったのです。
つまり中途半端な年になって、これから大掛かりなことを始めても終わりが見えず、さりとて何もやらないとストレスがたまるのでどうしたものかと。

で、私が退院したら「近場で二人で楽しく音楽をやりながら楽器を作ってみたりしよう」ということになりPACO1977がスタートしたのです。
そこで江藤さんは奥多摩から千歳船橋に引っ越してきました。昔、渋谷にあった、ミュージシャン、とりわけ元祖スタジオミュージシャンの溜まり場的楽器処『PACO』を再現したのです。どうも私のやる会社はいつも跡継ぎに恵まれず、理念とアイデンティティーを失って行方が分からなくなる傾向にあり、目先の欲に流される連中が品のない会社にしてしまうのです。江藤さんもそのことはよく知っていて、自分たちがやりたい放題やろうなんて言って、なんだかへんてこりんな敷居の高い『集り処』を作ってしまったのです。
PACOのスタートと同時に江藤勲さんは試行錯誤を始め、新たな音楽活動をユックリと起動し、毎日ただ漠然と音楽と楽器の中で時間を過ごしました。残念ながら周囲の人には何をやっているのかはよくわからないようでしたが、本当に音楽の好きな人間しかいない空間の中に存在していました。そんなある日、ミュージシャンの楽屋落話の延長で昭和歌謡バンドをやろうということになり、江藤さんの歴史を辿る旅が始まりました。昔の思い出話に花が咲き、あれをやろう、こんなふうにおちゃらけてやろうと昭和期のお笑いと音楽をミックスさせて生オケの歌謡バンドに仕立てました。

一方PACOでは海外の有名なミュージシャンや直井隆雄さん、萩谷清さん、徳武弘文さんのバンドにも演奏していただき、暇があれば粋人が遊びに来て、約2年間おおいに音楽とミュージシャンとの旧交を温め満足した日々でした。しかし一緒にやっている人との思いの隔たりは大きく、音楽の世界がこの20年〜30年ぐらいの間に劇的変化があり、全く創造性を失っていることに江藤さんと私は出る言葉を失っていました。

2015年4月25日はその歌謡バンドの第4回目のコンサートであり、全員が12時からのリハーサルに集まっていました。
時間には正確で、いつも必ず時間前にくる江藤さんが来ないので、これはおかしいということになり、若い人に家まで行って様子を見てくるように頼みました。そして10分も経たないうちに、江藤さんの悲報を聞くことになったわけです。
リハーサルの最中、全員が固まってしまって途方にくれました。
演奏会は即中止しようとしましたが、江藤さんのご家族から、とにかく今日は誰も家に近寄れないのでどうしようもなく、今は江藤さんのためにできることが何もないと聞き、この昭和歌謡は江藤さんと始めたことなので、ベースにトラを入れてなんとか供養のためにもやるべきだと演奏会を決行しました。
会場に集まってくれたお客さんには何も知らせないこととし、メンバー全員、とてもやりきれない思いを持ちながら、最後まで3時間にわたる演奏をしました。

この演奏会は江藤さんが最も気合を入れていました。ちょうどこの時期に江藤さんが関わったかつてのレコードがCDになり再販され、高い評価を受けていました。江藤ベースの研究をする若い音楽好きの人たちが、ネット上でいろんなことを書き込むようになってもいました。ジョージ松下さんのコニーアイランダースが再結成されて江藤さんがベースを弾き、ハワイアンバンドの演奏や仕事で忙しく輝かしい日々を送っていました。江藤さんが再評価され、充実した毎日のなかでのこの演奏会だったのです。
実はこの演奏会のなかでは江藤さんとゆかりの深いクレージーキャッツの洗面器ギャグも取り入れて、ボコボコになったブリキの洗面器が用意され、さらに一升瓶を逆さに吊るした点滴セットも取り付けられ、お酒の好きな江藤さんが午後5時を過ぎてアルコール解禁時間になったら、曲間に5秒間だけちゅうちゅう吸えるという小道具も用意していました。
『最近重いベースを弾くのがかったるい』とよく言うようになったので、私がスタンディングベースという、楽器が一人で勝手に立っている変わったベースを作りました。これを江藤さんが使い方を日々研究し、やっと気に入った状態で弾くスタンディングポジションが決まり、演奏会の前日に『誰も触れるな』と張り紙をしていました。

ですが、このベースの主人は演奏会当日、ステージ衣装に着替えて自宅で倒れていたのです。

文 椎野 秀聰

江藤 勲さんを偲ぶ ー その1ー

 

江藤さんとオレンダーベース

2015年4月25日、江藤さんが突然姿を消しました。
宇宙へ帰ってしまったらしいのです。

昭和歌謡史そのものの超人は、昭和歌謡の名曲中の2,000を優に超える楽曲において原盤スタジオ録音で独特なベースを演奏した人でした。
それまでのベーシストにはない感性豊かなきめの細かいリズミカルな奏法で、昭和歌謡の黄金期を担った人でした。
作曲者の意向、歌手の歌い方に合わせ、頭のアタック音がはっきりと出るピッキングで譜面に忠実な演奏をし、レコーディングのレジェンドと呼ばれた音楽性の極めて高い人でした。
全盛時代を知る人達には高い頂であり『天皇』と呼ばれる時代が長く続きました。
1960年代の後半から1980年代にかけ、ドラムの石川晶さん、ギターの杉本喜代志さんと共に最強のリズム隊といわれ、毎日愛車のマスタングでスタジオをいくつも掛け持ちで回っていました。帰る頃にはポケットに入りきらない演奏料が溢れていたというほど稼ぎまくり、江藤の右に出るものはいないと言われていたものです。
たまたま私はその頃江藤さんに並び称される寺川正興さんとも面識がありましたから、この両人の当時を見聞きしていました。寺川さんは温和でセンスの良い優しいタイプの人で、そのダンディーでナイスガイな人柄がベースの演奏スタイルにも表れていました。かたや江藤さんはワイルドで甘いマスク、なんたってカッコよくてモテっぷりも半端なく、音楽にぞっこんのめり込んだ筋金入りミュージシャンタイプでした。そして音楽家としては、どんなジャンルにも対応できるスーパープレイヤーでした。私はのちに彼と親しい友人となり、その人格形成から音楽性までを深く知り、江藤勲という人間とじっくり付き合うこととなりました。
最初江藤さんを紹介してくれたのは成毛滋でした。
その時はビクターのスタジオで「メリー・ジェーン」の録音があり、つのだひろと一緒だったことを記憶しています。「メリー・ジェーン」のあの間奏のギターサウンドを作った、レスポールならぬグレコのニセポールギターを成毛さんに届けに行って紹介されたのですが、あの成毛滋がかなり気を使って敬語を連発するので、この人はすごいベーシストなんだと思ったわけです。
この二人に共通するのは、ブランド品の楽器より自分の好きな楽器をなんとか自分の力でいい楽器にしてしまうという点でした。江藤さんはオレンダーベース、成毛さんはグレコと、当時の憧れのブランドであったフェンダーやギブソンに頼らず、楽器を自分の演奏に合うように使いこなしてしまうところに男気を感じさせていました。そこには楽器に対する深い愛着があり、楽器を自分の思うようにコントロールできる才能がありました。
それは江藤さんが私に言った『オレンダーベースは最初どうにもならないベースで、日々格闘を余儀なくされた。』という言葉に表されています。低品質のピックアップ、ショートスケールのボディー、マホガニーとは言い難いラワンのような材質の楽器でしたが、そこからあのピックアップをピックで叩いた音がアタックになる奏法を編み出し、ウッドベースのようなサスティーンの効かないまろやかなピチカートっぽい音質で歌謡曲に臨み、他の人とは全く違ったサウンドを創り出しました。
成毛さんも『ブランド品に俺は自分の力で勝ってみせる』と言い続けていました。
ご承知のようにこの二人はどんな楽器でも手に入れることができる人達でしたが、その立場を甘受せず、反骨心、チャレンジ精神、研究心を持った珍しいミュージシャンであったと言えます。
この二人については、練習中に成毛さんとつのだひろがふざけていたのを江藤さんが本気で怒って『音楽はもっと真剣にやらないといけない』と懇願しお説教を垂れたところ、人生で初めて人から説教を受けたと話したのを聞いた成毛さんの母親が『たいへんありがたいことだ』と江藤さんにお礼の電話をしてきたというエピソードがあります。
江藤勲、成毛滋、つのだひろ、それぞれの人間性がよく出ている話です。

文 椎野 秀聰

敦賀明子さんからメールが届きました

お久しぶりです。敦賀明子です。
8月20日に日米同時に発売された最新作、「コメンスメント」の発売記念ツアーを行うことになりました。
今回は11月21日から全国限定4箇所、5日間です。
ニューヨーク、ハーレム直送のファンキー・ジャズオルガンを秋の夜長にお楽しみください。
皆さんにお会いできるのを楽しみにしています。

11月21日(金)18:00開場18:30開演
11月22日(土)16:30開場17:00開演
世田谷 Guitar Salon PACO
メンバー:敦賀明子(ハモンドB3オルガン)小嶋洋一郎(ギター)(11/21) 直居隆雄(ギター)(11/22) 小山太郎(ドラム)
〒156-0055 東京都世田谷区船橋1丁目5-8 フレール磯崎B1F
電話: 03-6413-9797、FAX 03-6413-9804

PACO1977からのお知らせ


ミュージックチャージ:4000円(ワンドリンク付き)

*昨年に引き続きGuitar Salon PACOでの演奏。二日間です!今年はオーナーの椎野さんイチオシのベテランギターリストお二方と初共演、
そしてドラムはNYで一緒に演奏していた小山太郎さんです。昨年は色々なスペシャルゲストが来て下さり、大盛り上がり大会になりましたがさて今年は???

11月26日(水)17:00開場19:00&21:00
大阪ロイヤルホース
メンバー: 敦賀明子(ハモンドB3オルガン)東敏之(ドラム)野江直樹(ギター)
大阪市北区兎我野町15-13 ミユキビル1階
http://www.royal-horse.jp/
ミュージックチャージ:SS=3,200円 S=3,000円 A=2,500 B=1,500円 barcounter=1,000円

*地元大阪のホームグラウンド、ロイヤルホースでの今年の演奏は、ドラムの東さんがこの人!と太鼓判を押してくれたギターの野江さんとの初共演です。
毎年「極上」のB3をYSコーポレーションが持ってきてくれます。さて今年はどんな素晴らしいオルガンに出会えるか?お楽しみに!
そしてジャズを勉強している学生さん方にもぜひ聴いてもらいたいと思い、この夜に限り、22歳以下の方を半額にさせていただきます。
(証明できるものを持ってきてくださいね!)ぜひこの機会にどうぞ!

11月28日(金) 18:30開場20:00開演
名古屋Mr. Kenny’s
メンバー:敦賀明子(ハモンドSK2)倉田大輔(ドラム)越智巌(ギター)
〒460-0022
愛知県名古屋市中区金山5丁目1-5 満ビル2F
http://www.mrkennys.com/
ミュージックチャージ:前売り3000円、当日3500円

*2年ぶりの名古屋は初めて出演するMr. Kenny’s です。一緒に演奏してくれるのはハーレムのShowman’sで一緒に演奏して以来の大親友、倉田大輔くんと
若手のホープ越智巌さん。私が演奏するのはいつもNYで弾いているハモンドスズキのSK2です。どんなドラマが生まれるか?ワクワクドキドキです。

11月29日(土)18:30開場19:30開演
豊橋シャギー
メンバー:敦賀明子(ハモンドSK2)倉田大輔(ドラム)越智巌(ギター)
愛知県豊橋市広小路1-1, 豊橋グリーンホテル 4F
http://www.t-green.co.jp/shaggy.html
ミュージックチャージ:前売り3000円、当日3500円

*日本で演奏するときはここ、シャギーなしでは考えられない!という位、毎年演奏させてもらっている大好きな場所です。ギターの越智くんのホームタウンでの演奏、
今年も盛り上がることまちがいなし!

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そして・・・
今年も楽器フェアで演奏することになりました!
11月23日(日)ハモンドスズキのブースで演奏します。
http://musicfair.jp/

「コメンスメント」Somethin’ Cool (SCOL 1004)
敦賀明子(ハモンドB3オルガン)ジェフ・ハミルトン(ドラム)ジョン・ハート(ギター)
アルバムはこちらから:
CDbaby, Amazon.co.jp, iTunes

お知らせ:
アルバム「コメンスメント」がアメリカのジャズチャートで4位になりました

Indiegogoから始まったこのアルバム、みなさんの応援が支えになってここまで来ることが出来ました。
プロモーションの資金も皆さんからの寄付によって賄われました。その結果が4位!本当に有難うございます!!

レビュー:

Jazz Japan vol49

コメンスメント/敦賀明子

NYを拠点に活躍するオルガニスト。本場でサヴァイヴする人ならではの良い意味でのしたたかさが感じられる

ニューヨークを拠点に活躍するオルガニスト、敦賀明子のニュー・アルバム。僕が考えるこの人の魅力はー月並みないい方だがー音楽が自然体であること。
過剰に黒っぽさをアピールするわけではなく、さりとてクールだったりドライだったりというわけでもなく。もちろんこの人のプレイは、オルガン・ジャズの伝統ともいえる
アーシーなフィーリングをふんだんに含んでいる。そうでなくてはルー・ドナルドソン・グループのレギュラー・メンバーであり続けることなどできるはずもなかろう。
だがそれ以上に敦賀の表現には、彼女が幼い頃から身の内に取り込んできた音楽ーそこにはジャズ以外のものもあったろうーの気配、そこから得られた滋養がそこかしこに感じられる。
だからこその演奏は、生き馬の目を抜くNYにあっても特別な光彩を放つことができるのではないか。
これぞオルガン・ジャズというナンバーはいうまでもないが、④や⑥のようなちょっとラウンジ系が入った演奏も新鮮。
なんというか、本場でサヴァイブする人ならではの良い意味での強かさが感じられる。(藤本史昭)

Jazz Life2014年9月号
コメンスメント」敦賀明子

いまやNYハーレムを背負って立つほどに成長したオルガン奏者の敦賀明子の新作は、彼女の活動の基本形であるオルガン・トリオによる、シンプルにして最強の布陣での録音となった。
耳馴染みのあるメロディのカヴァー曲に敦賀のオリジナルを織り交ぜるというスタイルで、こてこてのオルガンを堪能できるのに後味がスッキリというバランス感、
すなわちハーレム流のエンタテイメントをそのままパッケージしたような内容になっている。日本を意識した前作とは売ってかわり、
直球真っ向勝負で”ハーレムの異邦人”として培ったSOULとグルーヴを問おうとするその演奏は、オルガン新時代を強く印象づけてくれる。(富澤えいち)

ジャズ批評2014年9月号

ジャズの本場ニューヨークが認めた敦賀明子の最新作
ファンキーでごきげんなオルガン・ジャズ

コメンスメント
敦賀明子

Somethin’ Cool (SCOL 1004)

米ダウンビート誌、評論家が選ぶ人気投票「オルガン部門、ライジングスター」に7年連続ランクイン

2001年に渡米した後、ハーレムの老舗ジャズ・クラブShowman’sでミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせた彼女。
最近は大御所ルー・ドナルドソン・カルテットのオルガンを務めるなど、世界的にも注目されている。本作は彼女自身のあらたなるスタート(Commencement)と題して、オルガン・ジャズの新境地を築いた揮身の一枚。
彼女のファンキーなオルガンを支えるのは、ジャズギターの鬼才ジョン・ハートとレイ・ブラウン・トリオのドラムを務めた経験を持つジェフ・ハミルトン。世界のトップミュージシャンふたりを引っ提げて、本場のジャズを私達に届けてくれる。収録されている曲を見ても、彼女のオリジナルからスタンダード・ナンバーが並び、最初から最後まで全く飽きない内容となっている。また、本作を期に、アメリカでのステージ・ネームをファースト・ネームの「Akiko」と改名。ジャズの本場ニューヨークで成功した数少ない日本人のひとりとして、彼女の活躍から今後も目が離せない。

お知らせ:
10月22日より11月12日までルー・ドナルドソン・カルテットでヨーロッパツアーに行きます。
各地のライブレポートをブログとFacebookで更新予定です。ぜひ御覧ください。

Thank you for your support!
Akiko

米持孝秋のインタビュー秘話 その9

ザ・フー

なにせ私はアメリカで育っている。それも1969年から1972年という一番音楽が盛んだった時期をアメリカ、ロスアンゼススで過ごしている。当時そこでラジオを体験したものにとって外せないのがザ・フーの存在である。ウッドストックを初めとするフェスティヴァルを総なめにしたのもフー以外にはあり得ない。しかしそんな彼らは最近まで来日することは決して無かった。リーダーのピート・タウンゼントの海外戦略に「アジア」の文字は無かったらしく、全盛期せめてケニー・ジョーンズの時代とかに来日してくれたら良かったのにと思う。そんな中私はベースのジョン・エントウッスルとは2回のインタビューの成功している。特に初めての来日はELPのキース・エマーソンやイーグルスのジュー・ウォルシュと一緒だったこともあり注目されていた。まあ、この時点でフーに関しては謎だらけだったのでその辺からひもを解くことにしたい。ジョン曰くアルバム“トミー”を製作した1969年のフーの経済状態は破滅的でまず身動きを取るためにフェスに出まくったと言う。しかし大きなライヴのチャンスがある度に実態としては何回フェスに参加してもその度に楽器を壊すので赤字はふくらむ一方だったという。そのためジョン26歳位までは実家のお母さんに世話になっていたと言う。驚きの事実だった、私が知っていたフーというのはもう確立された存在だとばかり思っていたのに。少なくとも1969年のアメリカにおいて彼らはとてつもなく大きかった。しかしジョン曰くシングル盤なんか幾ら売れたってバンドに入ってくるお金は無い、そうでアルバムのセールスだけが頼りだったという。実際レコード会社から“トミー”を制作するために手渡されたお金はアルバムを半分終わらせた時点で底をつき残りはバンドがツアーから得られるお金をつぎ込んで作られたという。まるで今日の様なバンドによる自主制作である。実際ジョンが母親の元から独立したのはそれからしばらくして“バイ・ナンバーズ”の制作時だったという。彼はこのときの大金を5年位で食いつぶしたと言っていた。その地味さに私は卒倒しそうだった。

 

同じような話をディープ・パープルのイアン・ギランから聞いたことがあった。“イン・ロック”はそのようにして制作費を稼ぐために昼間はステージをやったと言う話である。皆さん苦労しているんですねと言うのが正直な感想である。こうして考えると苦労して制作したアルバムがベスト・セラーになると言う感じがひしひしと伝わってくる。

 

そしてこうして話してくださったジョン・エイントウッイスルは2002627日になくなっている。素晴らしい人生であったことは疑いないが少し早すぎるという感じはぬぐえない。